Wheels Of Blue

何者でもない人間のひとりごと

美男美女への無理解

スペクタルな一日。ロケットで宇宙へ行ってきた。打ち上げ直後のGも、無重力状態も事前の訓練通り。やはり、地球は青かった。ほとんど何の感慨もないまま地上へ帰還する。夢を見たのではない。即席の作り話だ。

昼前に、寝ぼけた頭で外にへ出て、駅前のデパートへ向かう。スマホにイヤホンをつないで音楽を聴きながら。デパートでアクセサリーを購入。プレゼント用に包装してもらう。カバンを持ってこなかったので、直接ポケットに突っ込む。待ち合わせ場所に着くと、相手はすでにいた。「いいお天気ですね。お茶でもいかがですか、お嬢さん?」と声をかける。「わたくし、雨女ですから」とのお返事。その場を離れ、そこそこ洒落たレストランに入る。席に着くと、先に買ったアクセサリーのプレゼントを渡した。
「何これ?」
「プレゼントだよ。今日は誕生日だろ?」
手にした包みを観察し、彼女は眉を寄せる。包装紙が少し破れていた。
「何これ?」
「あ、ごめん。不注意で」
「そもそも、ここもパッとしないお店よね…」
「……」

疲れて家に帰ると、アガサ・クリスティメソポタミアの殺人を最後まで読む。例によって、犯人は犯人として一番自然な人物。最初はこの人物と別のもう一人との共犯だと思っていたけれど、なるほど、単独での犯行の方が自然だと感じた。殺害方法も決して無理ではないし、読者の想像の範囲内に収まるだろう。伏線も張ってあった。この伏線(ある部屋で大きな音がしたときに、別のある部屋でそれが聞こえる)の解釈が分かれるところで、自分は真相から遠ざかる方へ解釈してしまった。衝撃度は低いものの、一応、面白い作品だった。

難をいえば、クリスティ作品は、読み進めていくうちに、犯人なんて誰でもいい、という気分になってくるところかもしれない。そのかわりに、小説としての内容が常に面白いわけでもない。例えば、美男美女の描き方には違和感があり、リアリティが落ちているように感じる。大衆が持つステレオタイプに沿うようなキャラ造形、はっきり書くと、モテない男女の被害妄想が入り混じった人間理解が反映されているように感じる(そして、これは世の中のエンタメ作品全般にも当てはまる)

美人が社会的に価値を持つのは、否定のしようがない事実だ。そのことを当人たちがどう評価しているかは、個人差が大きいと思う。一般的に、社会を生きる人間は誰しも、それまでの人生経験に基づいて「自分なら、不特定の他者からは大体この程度を扱いを受け、この程度の魅力を持つ人間と付き合えるだろう」という予測をしているものだろう。美人は、この予測と期待の基準値が平均よりも高い。しかし、そこに、悪気はない。