Wheels Of Blue

何者でもない人間のひとりごと

僕の「やりたいこと」で社会貢献!

休日。外出するが、さすがに人が少ない。しかし、このくらいが丁度いい人口密度だと思った。買い物をして帰宅。やりたいことが沢山あるはずが、一晩寝ると何をしたいか忘れたり、やる気が減退していたりする。「それは、本当にやりたいことがないからだろう」と、やる気のある人は思うかもしれない。でも、「本当にやりたい事」とは何だろうか?

如何にも「やりたいこと、やっています」というふうにみえる人間は、外面がよく打算的だ。これに、一定以の能力が加わると、社会的に成功する。能力が発揮される方向性が大衆の要求と一致するからだ。当然ながら、少なくないお金もゲットできる。そして、実績とお金を背景に、さらに「やりたいこと」をスケールアップさせようとするだろう。

しかし、彼らの「やりたいこと」の中身は、一体どういったものなのだろう? 「社会に貢献します」だの、もっともらしい建前を用意して、何かしら活動のサイクルを回転させるものの、そこから吐き出された生産物の価値は、どれほどのものなのか。人気のYouTuberの動画を再生したことがあるが、僕は最後まで観られなかった。良いコンテンツを制作するというのは、簡単なことではないな、と思う。ブログの文章だって、単に書き手が消費したコンテンツを紹介をしているだけ、という記事が多い。アクセス数は稼げるかもしれないが、読んで楽しくはない。ある大学のある学部は基礎研究の学部なのだが、基礎研究の研究者は次々と減ってゆき、入れ替わるように、応用研究の研究者が続々とポストを得て「役に立つ」研究をやり始めた。明らかに畑違いの人たちを採用しているのだが、批判も起きずにやりたい放題の状態だった。その後の彼らが残した業績は、どれほどのものになったのだろう?

弓の達人は、的に矢を当てようとして、矢を放つわけではない。「己を滅すること」を目指すので、「的に当てたい」という欲求そのものが皆無だ。一級の仕事を為す人は、「やりたいこと」などという薄っぺらいものには振り回されない。むしろ、逃れられない必然性を自身の内に抱え、その必然への向き合い方が、結果的に外へ表現された、ということなのだそうだ。

要するに、世のほとんどの人間は、自分のやるべきことから目を逸らしたり、怠けて享楽に走ってしまっている、ということか。自戒。