Wheels Of Blue

何者でもない人間のひとりごと

人間的ということは、動物的

今日も暖かい一日。猿分野、ではなく、さる分野の勉強をするはずが、趣味関係の情報をネットで検索、枝葉末節へ入り込む。ほとんど進まず。ほとんど暇つぶしになってしまった。特に意味のあることはできなかった。(と思いきや、実は前から必要性を感じていた物品を注文していた。)

何かの作業に没頭した後、別のことに移ると、もう前のことなんて忘れてしまう。喉元過ぎれば熱さを忘れる、ではないが、似た感じがある。忘れるということは、大した行為ではなかったのだろう、とも考えられるが、必ずしもそうではない。おそらく、没入しすぎるところに問題がある。ヒトが取る多くの行為は、「〜のため」という目的の連鎖だ。この連鎖の、おおもとの目的に対して、執着が強すぎると、その過程が意識されにくくなり、理性や冷静さを失いがちになるのではないか。言い換えると、自分の内側に支配される、ということになる。外部である他人や社会からの支配ではなく、自分自身の原始的な本能に縛られた状態。動物に近づく、ということだ。実際彼らは、すぐに物事を忘れる生き物ではないか。