Wheels Of Blue

何者でもない人間のひとりごと

my文化

平坦な一日。特筆すべきことは何も起こらず。自分の日常は、個人的行為で埋め尽くされている。いや、社会からの嫌な干渉があり、仕方なく漫然と対応してきたのだが、最近は態度を改めるべきだと思っている。

はっきりいって僕は、日本の文化や慣習をそのまま受け入れる気にはなれない。「空気」が集団の善悪や行動を支配する原理になっているところはもちろん、日常生活での醜い身体の使い方まで(例えば外に出た時に、通行人の歩き方をよく観察してみよう。「何だその動きは!?」という歩き方をしているはず)、とことんうんざりしている。子供の頃から違和感があったので、これまで意図的に真似しないように努力してきた。

しかし、幾ら不合理であっても、皆がやっていれば立派に共同性を持った「文化」であり「慣習」となる。この事実を無視して「自分は自分、他人は他人」というだけの個人は弱い。いや、おそらく人間として生きる上で、個別を超えた共同性を拒絶しきることはできないのだ。だから折に触れて、自分の中の思考や価値観から実際にとった行為まで、普遍性はどの程度あるのか吟味する必要があるように思う。

別に仲間が欲しいわけではない。皆が受け入れているというだけの脆弱で魅力のない文化を取り入れても仕方ない。ただ、他人から見ても「そういう型があるのか」と思えるような、新しく強靭な文化を自分の手で創り出すのだ。そうすることで人生をより力強く、そして楽しく生きることができるのだと思う。