Wheels Of Blue

何者でもない人間のひとりごと

社会はドレシング

やや疲れた一日。これといったこともなく、人に伝えたいこともなく。しかし、仕事の作業中には考え事というか発想の断片のようなものが幾つも思い浮かんだだろうし、お金のためとはいえ「こんなことやってられるか」と、悪態をついた瞬間が何度か訪れていたはずだ。それが帰宅して休息を取るうちに、現在の自分の客観的立場などどうでもよくなり、プライベートモードに突入。次の朝には、昨日みたいな惰性のサイクルのスタートラインが待ち構えている。

生まれたときに与えられたDNAと生活環境によって、生の大枠が定められるにも関わらず、「自分には何かできる」という幻想を育て、それらの多くが決して叶えられないという現実から生じる社会の狂騒。あるいは、「僕のやりたいこと」を貫き、夢を実現させ、「やればできるんだ」と無邪気に語る成功者。陰と陽の構成要素たちが、まるで水と油のように、同じ社会という器の中で、情緒的な攪拌と分離の運動が繰り返している。

そして、彼ら多数派の運動法則に従わない人間は、一度はリアリティのない世界から抜け出そうと試みるものの、それは不可能だと知り、同じ場所に留まり続ける。

それでも、日常の折々で「こうした方が良い」「かくありたい」という漠然とした気づきがある。それらの芽を潰さずに、なんとか育てていくことに、その人固有の生があるのではないか(そして、こうした個人を支援するのが社会の本来の役割だろう)。そのためには相応の意志や力が必要だと痛感しているところだが。