Wheels Of Blue

何者でもない人間のひとりごと

惰性とプレッシャー

惰性的な休日。暇さえあれば音楽をよく聴くのだが、ふつう寝起きにいきなりハードな音楽は聴かない。ところが、高校の頃の自分はふつうではなかった。朝起きると、CDプレーヤー(時代だ)にハードロックアルバムをセットして、再生ボタンをON。目覚まし用に、そうしていたわけではない。当時聴いていた音楽が、ほぼこの手のジャンルだけだったこともある。けれど、自分のことながら、どういう感覚をしていたのだろうと思う。だいたい夜が明ける前の早朝のことだったから、音量は絞っていた。良いヘッドホンを買うお金もなかった。三、四時間を勉強や読書をして過ごし、誰よりも早く登校。全校生徒で一番だったかもしれない。これも、交通ダイヤの制限があったわけではない。人のいない校舎を見るのは好きだった。

子供の奇行だが、今振り返っても理由は理解できる。大人から管理される生活の中で、独りだけの時間が欲しかったのだ。学校で、家庭で、常に周りには他人がいた。教師の多くは頭が悪くて尊敬に値しないだけでなく、生徒指導の裏には学校組織や受験産業の利害がちらついて、気持ちのいいものではなかった。生徒は生徒で、彼らの発想やセンスには、大人が作ったステレオタイプに収斂していく予定調和を感じて面白くなかった。家には、古い価値観を持った頼りない親。それぞれの場所で逃げることもできず(どこに逃げる?)、不快な人間たちから不快な圧力を受け続けてきたように思う。

文章に書いてみれば悪いことばかりの状況みたいだが、ここには一つ学ぶべきポイントがある。自身にとってマイナスなのに避けられない人々の存在が、何か新しいことを生み出すための動因になるかもしれない、ということだ。「ここではない何処かへ行きたい」という欲求が一度沸き起こったら、ブレイクスルーのための新しい考え方や行動を取らざるを得ないではないか。

大人になると不快な状況からは逃げやすくなる。ともすると温室でぬくぬくと惰性的に生きることになる。