Wheels Of Blue

何者でもない人間のひとりごと

明るく消極的な人々

世間では休日。仕事が終わり、家に帰ったら眠くなったので少し眠る。目を覚ましたとき、体の中に激しい血流を感じた。縮んだバネが解放され復元力が働くが如く身体の治癒機構。自覚はなかったが結構疲れていたらしい。あまり創造的な行為は出来ず。音楽を聴くなど、受け身に過ごす。いや、受け身といっても集中していたのなら、もはやそれは積極性を持つことになる。学校の授業や職場の研修などを思い浮かべてみよう。「あ〜、眠い」と思いながら漫然と椅子に座っているのと、教師や講師の説明を聞きながら先の展開を予測したりしているのとでは雲泥の差だ。他人や動植物、街の様子を観察するときも同じ。じっとしていても注意は外部に向いている一方、結果的に自分自身の意識の持ち方をもコントロールしなくてはいけなくなる。案外忙しい。

さらに日常を振り返ってみよう。おそらく平均的な人は、公私の様々なシチュエーションで、外向きには常識からはみださないように体裁を整え、遭遇する他者や状況を陳腐化したパターンに当て嵌めてやり過ごしつつ、内面生活では漫然とした思いつきに振り回されているに違いない。仕事に遊びに、活発そうに見えるあの人も、本当はある意味では消極的な生き方をしているかもしれない。ライフスタイル雑誌をなぞっているだけ、というライフスタイル。

そうそう、注文していた荷物が届いたらしい。運送屋さんの所へ取りに行かなくては。