Wheels Of Blue

何者でもない人間のひとりごと

気持ちのいい挨拶

すっかり暖かくなった。冬用の上着が暑い。そろそろ花も咲き、虫が湧く嫌な季節が来る。でも、実は自然の変化は連続的なので、「季節がやってくる」なんて表現は誤りだ。俳句には季語を入れなければいけないらしいが、一年を高々四つくらいに分割するとは文学のくせに乱暴な。

一日という単位をとってみても、時間帯ごとに挨拶言葉が変化する。朝は「お早う(ございます)」、昼間は「今日は」、夕方は「今晩は」。これらの三つ。なぜか朝だけに丁寧語バージョンがある。「早」という漢字が当てるが、何が早いのだろう。11時でも「早い」という主語は? それから「今日は」あるいは「今晩は」なにか特別なことがあるのだろうか。述語は?

挨拶には曖昧さがつきもののようだ。英語の"What's up?"は、体調を訊いているだけでなく「何をしているの?」という意味にもなる。純粋に今現在の行為を質問するのなら、もっと直接的な表現になるだろうが、それでは挨拶っぽくない。英語の挨拶言葉は個人が起点になっている気がする一方、日本語の挨拶言葉は日の傾きが基準になっている気がする。東洋らしく、人間ではなく自然が意識の中心にあるようだ。どうして日の傾きなのか? どんな性格の人間でも一応は関心を持つ対象だからだろう。共通の話題、というわけだ。

世間のニュースも、挨拶がわりに話題に上る。「社会人」がニュースも読まず(見ず)に社会情勢に疎ければ馬鹿にされるが、これは挨拶が腰砕けになって面白くない、という感情が主原因だ。本当にきちんと状況を理解している人は少数派だろう。

僕自身は、挨拶なんて大っ嫌いだ。