Wheels Of Blue

何者でもない人間のひとりごと

違いがわかる男女

暖かい休日。午前は、ちょっとした用で出掛けた。帰ってから、ネットをチェック。詳しくは知らないが、オリンピックの運営組織(?)の長をやっている元首相が失言とか。「全発言」とやらを斜め読みしてみると、元首相が「一般論として女性は話が必要以上に長い傾向にある」と言ったように解釈できた。本人の意図はともかく、このご時世では絶対叩かれますな。日本の国も意識が向上してきている、ということ。でも、知人のアメリカ人女性も「女はおしゃべりだ」と認めてたけどね。社会的には「そんなエビデンスはない」とするのが正しいのか。

ところで、「男は観念的、女は現実的」と、よく言われてきたように思う。確かに自分が読んだ小説を振り返ると、女性作家の作品は文体から生活感が漂っているものが多かった気がする。対極なのは、村上春樹。この人の作品は生活感もあるが、ありきたりのストーリーや感情移入を楽しむものではなくて、何かしらの理屈が背景にあるようで理解するのが難しい。現実で会う女性は、しばしば他人の些細な言動を話題にして盛り上がる。それがエスカレートすると、話題の人物をネタに妄想を繰り広げて遊び始めることとなる。「男性も同じことをしているではないか」と思うかもしれないが、他人をおもちゃにしている不快感が、男性と比べて数割増しに感じたものだ。現実で会う男性には興味がない(女性にも、さほど興味はないが)。けれど、おそらく比較的個性を持った一人一人の人間から遊離して、集団全体とか、集団同士の関係に関心が向くのではないだろうか。そして、そもそも人間に興味がない人たちが少数いて、「オタク」と蔑まれていたわけだ。

最近はどうだろう?