Wheels Of Blue

何者でもない人間のひとりごと

もっとヴァーチャルでいい

世間は休日。今朝の気温は摂氏4度はあった。暖かい。駅前の人通りも少なくなかった。もっと少なくてもいいくらい。店の前には、消毒液が設置され、様々な注意書きが貼り出されているが、実質の都市生活は緩い。緊張感があるのはメディア上だけだな、と思う。

ところで、「社会」なるものはヴァーチャルな存在だ。将棋で遊ぶときは、盤面上の小さな木片に「王将」や「歩」などと筆書きすることで、あたかも将兵が目の前に存在するかのようにみなす。社会も、法律や契約でルールを設定することではじめて実在感を持つ。この性質のせいで、「社会」は常に消滅のリスクに晒される。教育による防止策が必要だし、これが政府が公立学校を設置する大きな理由の一つなのだろう。しかし、欧米の国々はともかく、そもそもこの国に「社会」が浸透していたことはあったのだろうか?

自分は詳しくはないが、日本は「世間」という共同体のしくみで国が成り立っているらしい。曲がりなりにも、1億人の人間が生活できているのだから、一概に悪い状態とはいえないのだろうが、個人的には苦痛を感じる。あまり具体的には書かないが、論理や理屈が通じないのが大問題だと思う。言葉を言葉通りにとれずに、変な解釈をするのも、同じく。

一昔前に芸能人が、肉親が生活保護を受けているという理由でバッシングを受けた上、受給者全員の生活保護費が減らされた事件があったように記憶している。問題の人は何も違法行為をしていなのに悪者扱いされて、他の受給者の人々も、とばっちりを受けた形。こんな不条理が許されていいのかな…。

人間はもっとバラバラに、ルールはもっとクリアに。切に願う。