Wheels Of Blue

何者でもない人間のひとりごと

初夢

ばりばりの正月。年が明けたものの、何の感慨もない。カレンダーの日付が変わっただけだ。テレビのニュースも見ないから、いきなり人から「あけましておめでとう」と言われると、ギョッとする。「そういえば、そういう挨拶になるんだったな」と、毎年そう思う。挨拶って、めんどくさい。

この時期には「福袋」という商品が売られるが、その中身はただの売れ残り品だというのは、大人なら誰でも知っている。それでも、ロシアンルーレットか闇鍋のようなエンタテインメント的楽しみが演出されていたり、社会の慣習にもなっているので、ぼったくりともいえず、消費者から文句はでない。しかし、何かありがたくて価値がありそうなイメージを装いつつも、実質はさほどでもない。

日本では、学校の入学試験科目に外国語が課され、当然英語で高得点できる人が少数出現する。けれど実社会で使いこなせる人は、さらに少数だ。教科書や参考書に載っている文章も、不自然なものが多い、とネイティヴスピーカーたちは口を揃えて指摘するが、なかなか訂正されない。本質的な知は棚上げにされて、選抜試験を突破するための知識や思考を鍛えることが重要になのだ。こういった事情は、他の試験科目にも一般化できるだろう。そして、馬鹿が社会の上層へ。

実社会に目を移すと、仕事では周りの人間にあわせることが最優先になっているだろう。具体的に何をするのか、指示すらもらえないこともあったりして、適当に騙し騙しやっている人も、実は多いのでは? 報酬の対価として、どういう価値を提供するのか。せめて原則のようなことだけでも共有されればいいのだけれど、ほとんど話し合われていなさそう。一部、考えている人もいるのだろうけど、こういう上の人はちゃんと「仕事」をしているね。それ以外の人間は、どうせわけもわからない作業が多いのだから、どんどん効率化して休みを増やそうよ(そこか!)。まぁ、無理だろうけど…。

仕事ができて一人前。そんな常識はもう終わり。大半の人は、労働なんてせずに(家の掃除や炊事くらいはやる)、絵を描いたり、音楽を演奏したり、映画を撮ったり、学問を研究したり、子供を育てたり、あるいは特別なことはせずに、単にお喋りしてすごす…そんな社会が到来していた、初夢の中。