Wheels Of Blue

何者でもない人間のひとりごと

毒化威力

某有名ジャーナリストがおかしなことを書いていた。

確か、読解力がどうたら、というタイトルがついた文章だった。
ある調査によると、子供の文章読解力が落ちているらしい。こういう子供たちが大人になると、いろいろと問題でしょう? みたいな方向に話が進んでいくのだが、持ち出される例が本題から微妙にズレてくる。仕事で取引先の注文にきちんと対応するには、自分が置かれた状況をきちんと把握していなければならない、他人の性格や心情を表情や振る舞いから読み取らなくてはいけない、というふうに脱線し始め、お終いには、社会的に成功した人物の有能さを示す、伝記的エピソードを紹介して結びに入った。そして、本来論じるべき、読解力の低下をどうするか、という肝心な部分は、まったく議論されなかった。

言葉の使い方も不自然だった。例えば面接や診察のように、今まさに目の前の他者と顔を突き合わせている場面で、

「相手の気持ちを察する「読解力」」

というふうに。普通、「読解力」という語は、ある人の意が文化的記号である文字によって間接的に記された表現物を読み解く能力、という意味で使われるのである。人々が、発話や表情で直接表現できる状態にあるときには、使われない。かのジャーナリストは、人の顔を文字だと思っているのだろうか?

しかし、自分以外で実際にあの記事を読んだ人が、同じように違和感を感じたかはわからない。はっきりいって、詭弁が使われているのだが、印象や感情で読んでいる人には、「広い意味でのコミュ二ケーションについて語っているのだ」と解釈してしまうだろう。

思いっきり茶化してやろうと思っていたが、彼の記事には最低限の防御が施されていた。さすがはプロのジャーナリスト、ということか。それでも、理屈や論理を軽視してるなぁ、という感じ。心の底では、読者を馬鹿にしていないか?

ところで「読解力」って、「どっかいりょく」と発音するんだね。知らなかった。